劫の長さ
正信偈の御文の中に「五劫思惟之摂受」という言葉があります。
この五劫の劫とは,計り知れないほど長い時間の長さを表わす単位です。
我々の生活上にはない時間の単位ですが,この劫は,古代インドで使われていた最も長い時間の単位です。
諸説がありますが,一劫とは次のような時間の長さだと例えられます。
一辺が40里の大きさの岩,この大きさが富士山の40倍の岩と考えてください。この岩に100年に一度だけ天女が来て羽衣でひとさすりします。次の100年後にまた一さすり,こうして富士山の40倍の岩が完全にすり減ってしまうまでの時間を「一劫」といいます。人間の年に換算すると,43億2千万年に相当する時間で,その5倍の時間を「五劫」というのであります。
「億劫(おっくう)」という言葉があります。物事をするのに気が進まず、面倒くさい気持ちを指していう言葉です。
日常の言葉として何気なく使っていますが、この億劫の劫は五劫の劫ですから一億劫という時間の長さになります。43億2千万年の1億倍。まさにおっくうになる果てしない時間です。
他のお経にもこういった果てしない長さや多さを表わしている御文があります。
例えば,仏説阿弥陀経の途中から何度も出てくる「恆河沙數諸佛(ごがしゃしゅしょぶつ)」という言葉は,「ガンジス川の砂の数ほど多くの仏さま」という意味でまさに数えられない数になります。
阿弥陀経にはこの果てしない数の仏たちが阿弥陀仏の南無阿弥陀仏の念仏の救いをほめたたえ,念仏をすすめておわれると説かれているのです。
我々人間の考えられない時間の長さや数は,大自然がとてつもない長い時間をかえて作り上げた自然の姿からも感じられるものであり,こうしてみると,人間にはまだわからない世界はあるもかもしれないと感じられます。このことをお経にはたびたび「不可思議」つまり,思議することができない,すなわち人間では考えても及ばないと表現されている世界だとされています。もっと,人間はあらゆる意味で謙虚にならなければならないのかもしれません。