啐啄同時
仏教語に,「啐啄」という言葉があります。
「啐」とは,雛が卵から出ようとして「もうすぐ生れるよ」と内側から殻をつつくこと。「啄」とは,卵の外側から母親が「ここから出てきなさい」と卵の外側からつつくこと。
この「啐」と「啄」がぴったりと合って卵の殻が割れ,この世に新しい命が現れる。絶妙なこのタイミングを啐啄同時というのです。
こういった「啐啄」は,師弟関係で導く者と成長する者との間の絶妙なタイミングを逃さないという教えなのですが,一般の者にとっては,人や身の上に起こる出来事との不思議な絶妙な出会いで感じるものでしょう。
不思議な出会いによる縁に恵まれたこと,タイミングの良い一言によって救われたこと,あるいはタイミングを逃して啐啄の機を逃してしまった苦い経験。
誰もが、何かの導きであるとしか思えない絶妙なタイミングの出来事を経験します。
教育者であり哲学者でもある森信三は、絶妙な出会いについて,こう表現しています。
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも,一瞬早すぎず,一瞬遅すぎない時に」
「差し伸べている手の上にしかブドウは落ちてこない」という言葉があるように、求めるという気持ちが自分の中にしっかり持てていることが大切です。そして一方で、自分の気持ちばかりではなく,相手を観察し相手の心の動きをしっかり見ておかないと絶妙なタイミングを得られないということも心しておくべきことだと思います。