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猿の道と猫の道

今年も、親鸞聖人のご命日法要である御正忌報恩講法要が、本山や各寺院で滞りなく行われたようです。
さて、親鸞聖人が説かれたみ教えの中に、浄土真宗の要とも言える「他力」というみ教えがあります。その他力という言葉は、世間では「他力本願」という言い方で使われています。その使い方は、自分の願い事を他人の力を借りて実現させようとする横着な行為という意味でもっぱら使われていると思います。
しかし、この使われ方は浄土真宗の立場から言えば、大きく間違っている使い方なのです。
まず、本願とは自分の願い事ではなく、阿弥陀さまが浄土を作られるために立てた四十八の誓願の中の最も大切な第十八番目の願いを言います。
その願いとは、条件をつけず全ての人を救う。特に、悩み苦しんでいる人を目当てにして救うのだという願いです。
その救いに身を委ねる、つまり阿弥陀さまの力にお任せして救っていただくという姿勢を他力本願というのです。

つまり、正確に言えば、他力本願とは仏力本願なんです。

なぜ、他力と表現したかと言えば、自力という言葉に対比させるためです。自力という言葉は、野球でよく「自力優勝消滅」といった言葉で使いますが、自分で厳しい修行を果たすことによって悟りの道に入っていくことを指します。
他力は厳しい修行も出来ない、自分では煩悩を無くせない者たちが仏力を頼ることです。
しかし、自力でも人間だけの力で仏になり浄土にいくことはできないわけですから、自力と他力どちらも最後は仏の力によって成仏し救われることには違いありません。
その違いは、「猿の道」と「猫の道」で例えられます。
自力は「猿の道」です。敵に襲われたそうになった時の子猿の様子に例えられます。母猿は敵に襲われそうになった時、子猿を助けます。その時、子猿は母猿のお腹にパッとしがみつく。母猿は子猿をしがみつかせた状態で敵から逃げていくのです。これが自力です。子猿は母親にしがみつくということを自力で行うわけです。
対して、他力は「猫の道」です。猫の場合は、母猫が子猫の首根っこをくわえて運んでいきます。母親がくわえてくれるので、子猫は自分で母親にしがみつく必要はありません。
母親の猿も猫も仏を例えていますから、最後は母親、つまり仏に助けられます。

違いは母親に助けてもらうために自分でしがみつく、つまり、仏の助けに向かって自分で修業する自力か、首根っこをくわえてもらって救ってもらうように委ねる他力かに違いがあります。

親鸞聖人は、「阿弥陀さま、ありがとうございます。私は阿弥陀さまの救いに任せ待つことにします」という他力に委ねるのでよいのだと一貫して説かれました。

この他力の教えが800年脈々と続いてきた浄土真宗のみ教えの要なのです。

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