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裏 表

「私の心は、内は愚にして外は賢なり」

この言葉は、親鸞聖人が著した『愚禿鈔』の言葉で、「私の心は、外見では賢く振舞っているが、その中身は煩悩にまみれ愚かである」という意味です。

裏表のある人、本音と建前といった言い方がありますが、私たち人間には、表向きの顔と裏の本性が時として見え隠れすることがあります。

普段、当たり障りのない振る舞いをしていますが、心の中では、親鸞聖人が仰せのように、煩悩にまみれ愚かであるのかもしれません。そして、他人に対しても、良い人、嫌な人と自分勝手な物差しで人を見て枠にはめていくこともあります。

親鸞聖人は、その煩悩にまみれた邪悪な心を蛇蝎(じゃかつ)のごとくなりと和讃に詠んでおられます。蛇蝎とは、蛇やさそりのことです。

こういった自分の裏というか、本性に潜んでいる蛇やさそりのような心、そして良い人間であろうとする表の顔、我々はその裏と表両方の心とつきあって生きていくのでしょう。

曹洞宗の僧侶ですが、江戸時代末期に生きた良寛という方をご存じでしょうか。

良寛さんは、特に子どもを愛し、「子どもの純真な心こそが誠の仏の心」と言って、子どもたちとよく遊ばれていたそうです。また、人を分け隔てすることなく、誰とでも優しく温かい気持ちで触れ合っておられたという話しです。

その良寛さんが亡くなられる前に、側の者につぶやくように詠まれたとされる句が次の句です。

「裏を見せ表を見せて散るもみじ」

あなたには自分の悪い面も良い面もすべてさらけ出しました。その上であなたはそれを全て受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことは幸せです。

この間まで知りませんでしたが、「裏」という漢字の下部分には「表」という漢字が潜んでいることを知りました。まさに表裏一体ですね。

裏の自分も表の自分もどちらかが本当の自分なのではなく、どちらも本当の自分なのでしょう。

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