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蓮如上人と一休禅師

 浄土真宗のお仏壇の多くは,真ん中の御本尊阿弥陀如来の木造や絵像が、左右には座っている僧侶の絵像が掲げられています。

 向かって右側の絵像は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。そして、左側の絵像は八代目御門主の蓮如上人です。親鸞聖人は平安時代末期から鎌倉時代、蓮如上人は室町時代の方です。この蓮如上人が浄土真宗のご法義繁盛に力を注がれたことで、浄土真宗は全国的な教団になりました。そのため、中興の祖として脇壇の御絵像に掲げられているわけです。

 さて、この蓮如上人、皆さんがよく知っておられる一休禅師、いわゆる一休さんと大変仲が良かったそうです。年齢は一休禅師の方がかなり上になりますが、宗派の違いを越えて互いに交流してそうです。

 お二人の間には、微笑ましくもなかなか一筋縄ではいかないエピソードがあります。

 親しみを込めて、お二人を「蓮如さん」「一休さん」と呼ばせていただきます。

 たとえば、京都の西本願寺を蓮如さんが建てていた時のこと。建設用の木材が置かれている場所で一休さんが、木の上に立ち頭に草を置いてニコニコしていたのです。大工は誰かわからないので、「坊さん、そこは邪魔だからどいてくれ」と言いますが、いっこうに動こうとしません。困った大工さんは、施工主である蓮如さんに言いつけにいきました。すると、蓮如さんが「それは一休だろう。お茶を一杯もっていけば退散するよ。」と言ったので、その通りにお茶を持って行きました。すると、一休さんは「さすが蓮如」と言ってお茶をガブッと飲むと、さっさと引き上げていったそうです。大工が不思議に思い蓮如さんに聞くと「何のことはない、木の上に人が立って頭に草をのせているから「《茶》を一杯くれということだよ」と言われたとのこと。

 まさに、愉快なトンチ合戦です。

 蓮如さんは、御文章を書かれた方としても有名です。その御文章の中で阿弥陀仏の本願を信じることでたすかるのだと書かれていることに対して、一休さんは「これはおかしいじゃないか」と次の句を蓮如さんに送ったのです。

「阿弥陀には まことの慈悲はなかりけり たのむ衆生のみぞ助ける」

 如来はそんな差別をされるのかという問いです。もちろん、一休さんは弥陀の本願をよく知ったうえでトンチをしかけます。

 さて、蓮如さんはこの問いに対して、「阿弥陀にはへだつる心なけれども 蓋(ふた)ある水に月は宿らじ」つまり、月は地上のどんな水にも月影を写す。しかし、ふたのある水には月はうつらないとの意味です。

 また、仏説阿弥陀経をみた一休さん、阿弥陀経には極楽浄土の様子が書かれているのですが、西方の十万億土先に極楽浄土があると説かれていることに対して「極楽は十万億土と説くなれば 足腰立たぬ婆は行けまじ」と問う句を送ります。

 対して、蓮如さんは、「極楽は 十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声」と返し、互いに仏法を正しく理解した者同士の当意即妙のやりとりをしたという逸話があります。

 その一休さんは宗祖親鸞聖人の二百回忌では西本願寺に出向いたそうです。何事にも遠慮無くもの申す一休さんは、親鸞聖人の黒漆の木像を見て次のような句を詠まれたといわれています。

 「襟巻の あたたかそうな黒坊主 こやつが法は 天下一なり」

 親鸞聖人への深い敬意がうかがえる一休さんらしい句ですね。

 今から500年以上前の話であります。

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