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正見

 仏教の教えに「正見」という言葉があります。

 悟りの境地に至るために八つの実践があり、それを「八正道」というのですが、その一つが「正見」です。
 「正見」とは字のごとく正しく見るということですが、正しく見るということはどう見ることなのか、そのことを教えたこんな話があります。

 室町時代の八代ご門主である蓮如上人が町を歩いていると、大きな松の木の下に人が集まっていました。蓮如上人が不思議に思い近寄ってみると、松の木の下に立て札があって、こう書いていました。
「この松をまっすぐに見た者には、金一貫文を与える 大徳寺 一休」
 蓮如上人は、すぐさま一休のとんちだと思ったのですが、皆は何とかして、この曲がっている松をまっすぐに見てお金(約一万円)をもらおうとしていたのです。
 首をいろいろな角度に傾けてみたり、別の木によじのぼって違う場所から眺めてみたりしています。でも、皆どうやってもまっすぐに見ることができません。
 しかし、蓮如上人はあっさりと「なに、簡単なこと。わしはまっすぐに見たよ」と言いました。周りの者が驚いて蓮如上人に尋ねると
 「曲がった松を『曲がった松だなあ』とありのままに見るのが、まっすぐに見るということ。白い物は白、黒い物は黒とありのままに見るのが正しい見方というものだよ。これを正見というのだ。曲がった松を何とかしてまっすぐに見ようとすることは曲がった見方。これを邪見というのだ」と言われたそうです。

 素直に自分の思いで見ること。自分の都合に合わせてみないということ。これが正見という言葉の意味です。

 苦しいこともつらいこともあるがままに見ていく。いろんな悩みに対しても正見という見方で見て受け止めることが、悩みから抜け出す第一歩になるのかもしれません。

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